話し上手は作文上手なのか?

 

 

話し上手が「作文上手」とは限らない~魅力のある文章とは?

 

 

おしゃべりが得意なひとが文章をうまくかけるとは限らない。
そう思いませんか?
おしゃべりが苦手な人は文章を上手にかけるとも限らないんです。
でもおしゃべりが苦手な人のことを考えると実は「魅力的な文章が書ける」んじゃないだろうか?と思うのです。

 

・・・それは自分のことかもしれませんが(笑)

 

努力しておしゃべりが上手になってる人にはお会いしたことがありますが文章の場合「努力」が必要なのか?といったらそうでもないかもしれません。
作文講座ってあるらしいですが、そういうひとが作った文章にあんまり魅力を感じないのですよ。
つまり「あぁ、作ってる(気取ってる)ね」という

 

・・・面白みにかける?そういうことですが、そう感じたことはありませんか?

 

でも、うまい文章が「書きたい」、うまく「おしゃべりがしたい」というひとって
いいたいことが「いっぱい」ありすぎて、脳内でごちゃごちゃしちゃうんだとおもうわけです。

 

自分は、文章にしてからしゃべろうとして失敗します(実話)
なのでおしゃべりが苦手な人、と認識されていますが文章をこと「書く」ということはまったく苦手ではないはずなんです。

でも、文章を作る。

 

それは多少「訓練」が必要なことで。

日記を書いてみては?」と、文章講座では言われるかもしれません(いったことがないので知りません)

 

つまり「日々を文章化することで言語化に慣れる」ということでしょうけれども別にわざわざ「書く」ことはないです。
脳内で「書いた文章」になるように、考えるんです。

 

たとえば。

なにかふっと気づいたことがあったとしてその場にいつもメモ用紙をもっているひとは居ないと思うんですが、じゃあここに原稿用紙やパソコンがあったとしたらどう書くだろうか?
・・・と、自分は思った』という文章化して「考える」ことを毎回やるわけです。
それで練習になるかもしれません。

 

そこは別にうまく文章にしようとかそういうことは考えなくて良くて

その考え付いた文章をもっと「平易な言い方にするとどうなるのかしら」とか逆に
すんごく解りづらい文章にしてみよう」、「韻を踏んでみたらどうかしら」と・・・。
そうとう暇がつぶせます(苦笑)

 

そこの紙もペンもケータイもスマホもPCもいりません。
音楽も要らない。

散歩の途中やジョギング中、はたまた料理の途中でもいいです。

 

それができるころには文章を作るっていうのは日常化されているはずです。
そのときにはきっと「自分のキモチイイ文章スタイル」ができている。
他人が魅力的に感じる文章なのかどうかはしったこっちゃない(本音)

 

自分が「キモチイイ」文章、それこそが自分にとって「魅力的」な文章である「はず」です。
最後は強気でいってみましょう^^